記念鼎談「横浜片倉道院の20年を振り返って」第5回
- K. Tanaka
- 2022年4月15日
- 読了時間: 4分
二十周年を記念して、三枝道院長、佐藤副道院長、三好道場長の三人に集まっていただき、設立の経緯や設立当初のお話、今後の展望などを伺いました。(全6回予定)
(インタビュー:古村)
横浜片倉道院はどんな道院?

―横浜片倉道院というのはどんな道院と思うかについてお聞きします。どんな道院かという話や、運営で大事にしていることなどありますか?
三枝:どんな道院かっていわれれば、真面目な道院だよね。技術や学科、その他儀式行事に限らず各拳士の向上心が連帯感を支えている。絶えず前向きで、一時期、3年前くらいに拳士が20名を切るほど減った時があったけど、その時に幹部の人がこれではいけない、ってことで力になってくれて。外向きのアピールっていうのを、SNSだったりを駆使してやってくれましたね。やはり時代とともに対応力をつけて変わっていかなきゃいけないっていうことで、うちは比較的うまくいっていると思いますね。
ただ最近は増えてきた人数に対して場所の広さが十分ではないという問題はどうにか解決できないかと見てるんだけど、なかなかないんだよね。
あとは後継者問題ね。これはどこの道院も悩みのタネだと思うけど。
神大寺スポーツ少年団(副道院長の佐藤先生が支部長)を作るときは無事に具体化ができたけど、立ち上げようと思っても仕事の関係とかもあるので設立するのは簡単ではないですね。あとは年齢がある程度いくと、きついよね。50代だろうね。
佐藤:その時は頑張ろうかなって思ってましたもんね(笑)。
三枝:昔の道院長って、20代の頃に道院を作ってるから、古い道院が多くて、むしろ新しい道院が少ないんだよね。うちも主要な幹部と今後どうしていきたいかを、今年は真面目に考えていかないといけないと思っています。先の幹部会では参与道院長制度についてかなり前向きな姿勢が共有できて、よかったと思っています。
佐藤:21年前、少林寺拳法をやり始めたころ、土曜日は三枝先生だけと2人で突いたり蹴ったりして。土曜日、日曜日になるとすごい先生方、元道院長とか実業団の方とかが来て。
当初は3級からだったから覚える技が多くて大変だったね。そういう厳しさは、今はなくなっちゃったけど、でも面白かったね、あの時代は。日曜日は三好先生が子供を連れてきてすごく楽しい雰囲気になったり、三枝先生が仕事の関係で来られなくなったときは、まだ黒帯じゃない茶帯の僕が子供たちを教えたり。あの辺りの頃はちょっと生意気になっちゃったね。「違うっ!!」とかいながら(笑)違うも何も自分もできていないのに。そこは反省点ですね(笑)。
でも20年ちょっと経って自分がまだ現役でいられるのは、諸先生方の力と、若手を育ててくれてる三好先生の力のおかげです。今後も、楽しいイベントや行事をやっていければいいなと思いますね。
三好:20年間、指導をやらせてもらって大事にしてることは、みんなにとって楽しい道院であってほしいなと。いや、あるべきといった方がいいかもしれません。「楽しい」って言ってもそれは個々に違うので、その個々の思いに応えなきゃいけないかなっていうのはあります。佐藤先生のように、つらい練習が好きな人もいるし(笑)、子供たちにしても大人たちにしても、片倉の練習が息抜きになる人がいたり、ガンガン汗をかくのが好きな人もいれば、仲間たちと顔を合わせて痛くない程度でやっていくことが楽しい人もいる。そういうみんなそれぞれにとって楽しい場になるよう、そういう指導になるよう頑張っているつもりではあります(笑)。
小学生の子供たちが中学校に進学して、「部活に入るので…」といなくなっちゃうこともありますが、大人たちは案外残ってくれているので、それなりに自分が意識していることはかなえられているのかな?と思っています。今は横浜だけでなく神奈川の少林寺拳法が過渡期に来ているので、そこを道院長の力を借りながら、新たな動きができる形にしていく、うちはそういう力のある道院だと思ってますので、20周年を機に横浜片倉道院の第2ステージ、第3ステージへ行けたらいいなと思います。
三枝:周年行事は毎年行うわけではないので、この20周年をきっかけとして、全部ができるわけではないが、道場長の話にもあった方向へみんなで模索しながらもっていけたらなと思います。
(第6回へ続く)
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