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記念鼎談「横浜片倉道院の20年を振り返って」第4回

二十周年を記念して、三枝道院長、佐藤副道院長、三好道場長の三人に集まっていただき、設立の経緯や設立当初のお話などを伺いました。(全6回予定)

(インタビュー:古村)


教典、鳴子づくり…いろいろな道院の活動


―私も初期のころの写真を見てみましたけど、落語の会だけでなく、例えばMy経典つくりとか、学習会とか、かなり行事をされていたと思うのですが、これは意識して行っていたのですか?


三枝:学習会はだいたい隔月に開催しており、学科だけでなく飽きないように工夫していたな。

佐藤:毎月、少林寺拳法の月刊機関誌でいろいろな記事が掲載されてたんですね。

それで「これ面白いですね」とかいっていると、三枝先生がどこからか材料を仕入れてきて準備して、My経典作ったりとか。

三好:少年部講習会とかでいろんな先生方から「こんなことやってるよ」とか紹介されたりして、やってみませんか?と提案を三枝先生にしたという。

三枝:山岸さんという女性拳士がソーラン節の団体にも所属していて、それで鳴子作りをやったこともあったね。


―鳴子作りをしている写真もありましたね。


三好:「鳴らない(?)鳴子」を作った子もいて(笑)。つけ方を間違えると振っても鳴らないんです。ぴったりくっついちゃって。

佐藤:他にも、親子で芋掘りとかもあったし、少年部向けには「開祖の似顔絵を描こう」なんてこともね。

三枝:他には宗教的な行事もやらなきゃ、っていうのがあって。というのは僕が道院長になったくらいの頃から道院としてそういったことに積極的に取り組むように、との話もあり、けっこう真面目に新春法会、達磨祭とかやってたね。




初期のころの思い出


―大会関係とかはいかかですか?


三枝:全国大会もぽつぽつ行ってたね。最初は三好君の親子だったかな。

三好:そうですね、横浜片倉道院としては自分たちが初でしたね。

佐藤:いろいろなことを思い出しますね。


―合宿もやっていたようですね。三ッ沢公園の施設でやっていてかなりの人数がいたようですが、参加者は横浜片倉道院だけですか?


三好:横浜片倉道院だけです。ただゲストとして先ほどのワイ横っていう、山岸さんのよさこいチームの方がいらしたりしてました。彼らは夕方まで一緒にいて、ご飯食べて解散、という形でした。


―合宿の修練時の写真をみると複数の道院との合同かと思うくらい人数がいましたね。


三枝:確かに、体育館の雑巾掛け(修練のはじめと終わりに行う「作務」。)の時とか一列だと並びきれなかったものね。


―近隣で行き来の多かった横浜星川道院のとはどのくらいからの古い付き合いなんですか?


三枝:横浜星川はうちよりも2年前の設立だけれど、縁の始まりはそこから20年くらい前かな。

三好:横浜中央道院からです。


―あ、そんな前なんですか。


三枝:道院長の百百先生と僕はそのときは直接は会っていませんが、ほかの門下生では多くの方との出会いが今も続いています。僕が横浜中央道院にいたのはたった3年で、その後に鶴見道院の設立を機に転籍したんです。そして横浜片倉道院設立後は同じ小教区同士だから、道院長だけ集まって2か月に一回僧階勉強会をしましたよ。その甲斐もあって2年間に少法師が3名誕生しました。


(第5回へ続く)




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