top of page

記念鼎談「横浜片倉道院の20年を振り返って」第3回

二十周年を記念して、三枝道院長、佐藤副道院長、三好道場長の三人に集まっていただき、設立の経緯や設立当初のお話、今後の展望などを伺いました。(全6回予定)

(インタビュー:古村)






設立後はポスターを貼って拳士集め ―とにかく人集めが一番大変だったということがわかりました。では次に20名を集めての設立初期の頃のお話ですが、設立後の拳士集めはどのようにしていたんですか? 三枝:近隣になる7か所くらいの掲示板に拳士募集のポスター貼ったよね。 佐藤:地区センター、片倉町駅などでポスター貼りましたね。 三枝:あの頃は毎週自転車で回ってたね。なぜかというと掲示期間が短く、期限を過ぎると剥がされてしまうので。 ―それは三枝先生がひたすらやっていたんですか? 三枝:うん、それと佐藤先生と分担して。 三好:佐藤先生の奥さんは片倉の採用部長と言われていました。入門拳士獲得に関して、佐藤先生の奥さんの功績は大変大きいです。 三枝:幼稚園や近所への口コミだね。 佐藤:そうですね。子供たちとかが同級生を呼んだりして。(と、入門拳士名を次々と並べる…)で、お母さん同士も道院がきっかけで仲良くなって、その頃から今も仲良くしてますね。 ―すごいですね。今伺っただけでも10人以上名前がでてきましたね。 三枝:練習日が水・日で、修練中はずっとお母さん方がわが子を見ながら世間話もしていました。体育館まで子供を送って終わったら迎えに来る、というわけでなく。 佐藤:乳母車に赤ちゃんを乗せて体育館まで来ていた人もいましたね。 口コミで片倉の評判を聞いて、とかで。 あの頃の子供たちももう大人ですから、さらにその子供たちが来てくれたらいいなぁとは思いますけどね。 ―修練はその頃、水、土、日の3日だったんですね。 三好:僕が土曜日は桐蔭学園で、日曜日が片倉という形でしたね。 うちの子も入門していたのですが、僕が土曜日が桐蔭の練習で来られなくて、日曜日は武専があって、大会があってとかでなかなか片倉に来られなくて。 結局、これだけ練習日があるのに月に1回くらいしか連れていってもらえないのはどういうことだと子供に詰め寄られて。そこで道院長に曜日を振り替えてもらうようお願いしました。 ―それで担当の曜日が変わったんですね。 三好:道院長が土曜日は桐蔭の指導に行って、自分はそこで桐蔭との縁が切れたという(笑)うちの子が一所懸命、練習したいっていうから(笑) 佐藤:可愛かったもんね、子供たちは笑 三枝:なんだかんだ言ってるうちに、だんだん市や県、そして少年錬成とかの大会とかにも出だしてね。 佐藤:うちはその頃から名門?って呼ばれてましたね。子供たちが多く大会に出て結果を残していたので。 (第4回へ続く)

閲覧数:53回0件のコメント

最新記事

すべて表示
記事: Blog2_Post
bottom of page