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記念鼎談「横浜片倉道院の20年を振り返って」第1回

二十周年を記念して、三枝道院長、佐藤副道院長、三好道場長の三人が集まり、設立の経緯や設立当初のお話やこれまでの道院の道のりやエピソード、また今後の展望などを語り合ってもらいました。(全6回予定)(インタビュー:古村)



出会いの経緯と当初の稽古風景

―皆さんの出会った経緯について教えてください。

まずはじめに三枝先生が教えていた桐蔭学園工業高等専門学校(高専)の少林寺拳法部に道場長が入部したという理解であっていますか?


三好道場長(以下三好):はい、道院長が部長・監督であった学校の支部に僕が入部しました。

三枝道院長(以下三枝):自分も同じ高専出身で、彼は17期後輩になります。高専支部の部長と併行して、縁あって1980年に桐蔭学園高校支部の部長にもなりました。この高校支部設立は三好君が入ってくるだいぶ前の話です。

三好:桐蔭高専と桐蔭学園高校支部の両方あって、そこで僕は桐蔭高専少林寺拳法部の方に入部しました。


―なるほど。佐藤先生とはいかがですか?


三枝:まったく時期が違って、かなり時間がたってからです。

佐藤副道院長(以下佐藤):道院長が横浜片倉道院の設立準備段階で利用していた神大寺小学校に、2001年の8月頃でしたかね。

三枝:設立が10月末だから、数か月前から準備していたのでその頃ですね。

佐藤:たまたま僕は、暑い盛りにちょっと見学程度に、見に行ったんですよね。

その時はまだ広い体育館に一人で道衣姿という光景でした。

三枝:あれ、あのとき道場長はいたっけ?

三好:流れでいうと、三枝先生が桐蔭高専支部、桐蔭学園支部にいながら片倉道院を作ったときに初期メンバーとして僕は移ってはいるんですけど、僕の活動拠点は桐蔭学園だったので、当時あまり道院活動はやっていませんでした。

三枝:籍はあったんだよね。

三好:ありましたが、初期は道院にはあまりタッチしていない。日曜日だけ片倉の練習にきてました。

三枝:むしろ桐蔭学園の方の技術指導を担ってくれていたようなものです。


-ああ、手分けされてたんですね。


三好:土日で活動していたので、土曜日は主に僕が桐蔭学園、三枝先生が横浜片倉道院でそこに佐藤さんがいました。で、横浜片倉道院は日曜日の修練を月に2~3回やっていたので、その時には片倉に来ていました。

三枝:佐藤さんと修練を始めてすぐに、桃井さん(現幹部)が入ってきたんだよね。

桃井さんは、実は僕が若いころに所属していた横浜中央道院の後輩だった。


―横浜中央道院の話を桃井さんもしていたので、どこでつながっていたんだろうと

 ずっと思っていました。たまたまだったんですね。


三枝:たまたま。だけど横浜中央道院は活動拠点をいくつか持っていて、その一つが横浜のスカイビルでした。昔の、最上階のレストランがゆっくり回る頃の先代のスカイビル。そこで審判講習会もやったんだよね。桃井さんは近くに住んでいたけど、直接つながることはなかったんですね。その後、岩崎さん(現幹部)やその家族が入門したんですね。

佐藤:そうですね。設立1年後くらいで岩崎さんが入ってきました。

(次回に続く)











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